会社概要 お問い合わせ 条件書 求人情報 リンクページ 旅行代理店向け ENGLISH RUSSIAN TOP 会社アクセス HOME
航空券空席案内
フリーツアー
グループツアー
おすすめモデルプラン
格安航空券・船・鉄道
ホテル情報
留学情報
国別情報
都市観光情報
ビザ情報
お申込みから出発まで
資料請求・見積り依頼
ロシア語講座
大人の知的生活講座
会社案内
ユーラスツアーズ本社
〒106-0044
東京都港区
東麻布1丁目26番8号
イイダ・アネックス東麻布4階
電話: 03-5562-3381
FAX: 03-5562-3380

 モスクワ・ブルガリア紀行

 上海、プラハ、ハバロフスクと続いた旅行も、私の退職をもって区切りを付けなくてはならない。これからは収入がなくなるので、外国旅行をするとしても航空運賃の安い時期をねらって行かざるを得ない。
昨年からコースを練り始めたが、ブルガリアに行くことにした。ブルガリアには1973年、1988年の2回行っている。コースを検討してみると、ブルガリア1国だけだとちょっと時間が余ってしまいそうである。そこで、モスクワを見物してからソフィアに入ることにした。

 7月21日(土)成田第二空港ビルDカウンターでユーラスツアーズの五十嵐さんと待ち合わせた。

モスクワ・ブルガリア紀行

五十嵐さんは航空券とロシアの入国カードを持って待っているのである。チケット、カードをもらい出国手続きのため五十嵐さんと別れた。7月9日には「添乗員代行者のための手引き」を公民館まで届けてくれ、なおかつ重要点を伝えていってくれた親切な人である。
アエロフロート機内のアルコールは有料になったという、事前の情報であったが、そもそも積んでいないような感じであった。アエロフロートにも日本人乗員が乗る時代になったが、行きは男性、帰りは女性であった。乗客の一人(女性)がウイスキーの瓶を出して飲み始めようとしたら、日本人クルーから「持込のアルコールは飲まないでください」と注意されていた。

 7月22日(日)9時、市内観光に出発。まずは定番の「赤の広場」。9時25分に着いたのだが、駐車場の番人がいない。そのままバスを入れてしまった。聖ワシーリー寺院裏手にあった巨大ホテル、ロシアホテルは完全に解体されて大きなシートに覆われていた。
対岸からクレムリンを眺め、写真を撮ったりしていると、モスクワの写真集を売りにきたおじさんがいる。一冊千円と言っていた。きれいな本である。次に行ったのが、モスクワ大学前の展望台。モスクワ川、レーニンスタジアムを眼下に市内がはるかかなたまで見通せる名所であるのだが、崖の途中に生えている木が生い茂り視界を妨げている。樹木を剪定する予算がないのだろうか。モスクワ大学の裏手へ回り、そこでも写真を撮ってからもとの道へもどり、先程上から見下ろしたノボデービッチ修道院を外から眺めた。ここは最近亡くなった前大統領エリツィン氏が葬られているところでもある。
  昼になり、バスは地下鉄キタイ・ゴロド駅の付近に止まった。同じ名前のレストランに案内された。ここで飲んだビールが昨晩と同じもので値段がなんと190ルーブル(950円)もした。日本よりも高い。
午後はクレムリン内部の見学である。武器庫と言いながら、展示物のほとんどは衣裳や宝石類である。ブルガリアでも同種の物は見たが、何といってもここの物にかなうものはなかった。実物の馬車が何台もおいてあるのだから、その壮大さは見当がつくと思う。さらに皆が感心したのはナターシャさんの説明である。単に年代を述べるのではなく、日本では安土桃山時代であるとか、日本史に関連づけて話すから聞くほうも非常に理解しやすい。

 7月23日(月)ガイドなしに動き回る日である。地下鉄の10回カードを一人ひとりプレゼントするように、これまた五十嵐さんが手配をとっておいてくれた。ルーブルと一緒に受け取り、今日はそれを持って外出である。

  ナターシャさん曰く「キエフ駅から遊覧船にお乗りなさい。川から見る景色も良いものです。250十ルーブルで1時間15分くらいです」と勧められた。その意見を入れて出かける事にした。
  8人分の切符をまとめて買い、船に乗ろうとすると我々の前のカップルのところで満員だから次の便にしてくれと断られた。十五分待ちだそうである。中国だとやたらと人をのせ船が沈みそうになりながら航行することがよくある。それに比べれば安全第一でこちらの方が良い。切符に印刷された地図を見るとキエフ駅を出た船は蛇行するモスクワ川を進み、ユージヌイ・レチノイ・バグザール(南方川駅)で終点になる。クレムリン近くの駅はウスティンスキー・モストである。モスクワは連日気温が二十二度前後で非常に気持ちが良い。日陰にいると少し肌寒い感じがし、日向に出ると少し暑いという感じである。船は四十キロくらいのスピードで進む。昨日のモスクワ大学前の展望台の下も蛇行しながらゆるゆる行く。地上のコセコセした感じから解き放たれて、おおらかな気分になる。地図には我々の降りる駅まで四つの駅が書かれてあった。ここを全て各駅停車で、川の右岸に行ったり左岸にいったりするのである。小さな船着場には一人か二人の乗客が待っていた。「ゴーリキー名称文化と休息の公園」駅を過ぎると遊園地が見えた。ジェットコースターや高い塔から座席が下へ滑り落ちるような遊具などが船上から見える。叫び声まで聞こえそうである。チョコレート工場も見えた。下車駅の前はロシアホテルがあったところで、大きな囲いには大きな広告、北野武の大きな顔(でかいツラをしてるという意味ではない)が描いてある。

明日はソフィアに発ってしまうので残ったルーブルでウオッカを買いたいという団員のために、テント張り売店(二年前にここで昼を食べたことがある)に入り、ウオッカを二本買った。

 7月24日(火)ソフィアへの移動日。7時から搭乗手続きが始まり、10分には出国手続きを済ませた。TU154型機、SU171便は9時20分には離陸、11時46分、ソフィア時間10時46分にソフィアに着いた。
  ここのターミナルも新しく建て変わっていた。しかしその規模は、発着ゲートが僅か3つという信じられないような小ささであった。
  数少ない乗客が入国審査を済ませてしまうと、係官はブースのシャッターを閉めてしまった。きっとしばらくは到着便がないのだろう。出迎えてくれたのは小柄でちょっとはにかんだような笑顔をみせるレーダ・ザハリェーバさんだった。ロシアだと「金髪碧眼」は多いが、ヨーロッパ南部のブルガリアまで来るとこういう人は見かけない。髪の毛も眼も黒ずんで来る。レーダさんもそんな一人である。
  時間が早いことから荷物をバスに積んだまま、午前中から見学が始まる。「2・3日前からとても暑くて40度くらいになるかもしれません」とレーダさん。涼しいモスクワからやってきたから、地獄の釜の中に入ったような気分だ。ソフィアから南へ8キロの所にあるボヤナ教会を目指す。道々、レーダさんがブルガリアの基礎知識を紹介する。ブルガリアはその昔から現在にいたるまで首都が四回変わった。そして現在の首都ソフィアの名前の由来は@歴史上登場する姫の名前からとったもの。A聖ソフィア教会からとった。・・の二説があるそうである。郊外には2300メートルのヴィートシャ山が聳えており、盆地になっているため夏はとても暑い。反対に冬はよく雪が降るそうである。山道を少し登った途中に教会はあった。ボヤナ教会は、11世紀に造られ、その後13世紀、19世紀と建増しされ、1979年にユネスコ文化遺産に登録された。小さな教会のため、一回に10人しか見学を許されない。我々は10人のグループだからちょうど良かった。内部のフレスコ画(壁画)が有名で、13世紀のものは土地の大名と国王などの絵である。酷暑ではあるが、ヨーロッパの夏らしく木陰、建物の中に入るととたんに涼しくなる。日本の夏もこれくらい湿度が低いと楽なのだが。

宿泊先ソフィア・プリンセスに入った。夕食は民族音楽・舞踊を鑑賞しながらであった。スラブとアラブが入り混じったような曲ばかりであった。やたらと長い縦笛、スコットランドのバグパイプに良く似た楽器などが印象的であった。

 7月25日(水)今日は、リラの修道院を見学してからプロウディフまで行く。今日も強行軍である。
修道院のすぐ近く、昼食を食べるレストランで小休止をしてから修道院に入った。すぐ横に聳える山はマリョビタの峰という。かなり高いところまで登ってきたので暑さは感じない。修道院の敷地は8888平米ある。10世紀にその基礎がつくられたが、この場所ではない。
  聖母誕生教会の周りにはいち面に天国と地獄の壁画が描いてある。敷地内の歴史博物館には、木製の十字架がある。その十字架が5センチ四方位の部分に分かれ、その部分ごとに聖書の場面が細かい細工で彫ってある。
  プロウディフのホテルは、トゥリモンティウム・プリンセスという。これには「3つの坂」という意味がある。プロウディフが3つの岡の上に開かれた町であることに由来した名称なのである。岡山市、ロシアのサンクトペテルブルグと姉妹都市になっている。1988年に来たときレニングラードというホテルに泊まったが、その辺が理由となっているのだろう。
  旧市街をレーダさんの説明を聞きながら散歩する。途中の道端に、帽子を被り首を斜めにしてなにやら話をしている人物の銅像があった。ミリョーという人の像だそうで、いつも面白い話をして市民を笑わせていた名物男で、亡くなってからその場所に銅像が作られたということである。何となくエノケンに似ており、「面白い人」というのは顔つきも似てくるのかもしれない。

 7月26日(木)プロウディフ見学とソフィアへの帰還の日。9時30分、荷物をバスに積み込んでから歩いて旧市内へ向かう。昨日のエノケンを通り過ぎ、ローマ時代の円形劇場の跡にでる。半分壊れた柱や壁がそのままであり、大きな地震がきたらたちまち瓦礫の山となってしまいそうな様子であった。崖の上から、下の平土間まで下りられるようになっている。今でも野外オペラの会場として使われる。この外で、自作の絵を並べて売っているお婆さんがいた。以前は「黄色い学校」で先生をしていたそうである。1枚20ドルと言っていた。
  昼食を食べたレストランは、緑の棚の下の野外テーブルだった。映画にでも出てくるような雰囲気だった。チキンスープと肉料理(豚肉ステーキ)が出たが、我々以外のヨーロッパからの団体客は一品料理だけであった。老人グループということもあるが、意外と質素である。ここのビールは昨晩と同じ銘柄で倍の値段4レバ(365円)した。店によって倍の差があるのはどうも納得できない。
  最後の晩餐は豆をペースト状にした料理とズッキーニを使ったグラタンのような料理がでた。豆は食べてみるとかなりの量であり、これだけでお腹がいっぱいになってしまった。また、レバを使ってしまうため適当な値段のワインを注文した。24レバ(2136円)。
  食事の途中で三人組の流しが闖入してきた。何曲か日本の曲も演奏していったので、何人かが細かい紙幣で投げ銭を出した。

 7月28日(金)帰国の日。9時50分にホテルを出て、10時10分には空港に着いた。来る時もそうだが、帰る時も飛行機に乗る人はとても少ない。搭乗手続きに並んだのは30人程である。レーダさんとはここで別れた。どうもお疲れ様でした。4日間の付き合いでしかないが皆の心には一生残ることでしょう。
  東京からモスクワへ行く飛行機はいつも涼しいのだが、どういう訳か東京行きは暑い。前に一人で二つの座席を占領して横になって寝られる状態になったことがあるが、その時も暑くて寝るどころの騒ぎではなかった。そこで、ロレンスの短編集を読みきってやろうと馬力をかけて読み始めたがなかなか根気が続かない。読んでは居眠りをし、食事をしては読みしているうちにやっと本文を読みきった。あとがきは、スカイライナーの中で読んだ。
  始めは面白くなかったが、だんだんロレンスの心理描写のうまさに引き込まれるようになった。今回の旅行のもう一つの収穫であった。
(2007年8月10日)
作者:貫井洋司(埼玉県)

ページの都合上、大部分割愛させていただいております。