ゆうらす第18号
 


 
ロシアは生き続けていた
〜その文化と芸術の源を訪ねて〜

日本ユーラシア協会岩手県連合会 釜澤 稔(岩手県)
 日本ユーラシア協会岩手県連が主催する「ロシア芸術文化の旅」に、五月二十八日から六月六日まで十日間、サンクト・ペテルブルグとモスクワを中心に、一行十名で行ってきました。
 贅沢なほど日数をかけた所以は、参加者の誰もがロシアという国が初めてであり、この国にそれぞれが思いを巡らしていたことと、チャイコフスキー、プーシキン、レーピン、エイゼンシュテインなど、音楽、文学、絵画、映画を育んだ文化芸術の真髄に触れ、ロシアという国の歴史と、その分野から過去、現在、未来を探ることが背景にあった。
 訪ねたい箇所が沢山あったが、あの広いロシアを限られた期間と予算内で、すべて網羅するとなれば無理というもの。
 ならばサンクト・ペテルブルグとモスクワを中心に、それらを満足に近づけることができないものか…。結果は大満足であった。
 サンクト・ペテルブルグのイサク寺院、エルミタージュ美術館、ピョートル宮殿、ドストエフスキー記念館、タタール・モンゴールの政治的支配と文化の影響を受けた、モスクワの赤の広場やクレムリン宮殿。
 そして数々のギリシャ正教会の建築物。ロシアの古代、中世、近代、現代の一大絵巻を一気に見る思いであった。
 第一に、このロシアという国の広大さが、ロシア人が言う「母なる大地」や「母なるボルガ」という名称の所以であること。
 第二に、イワン雷帝から始まるロシア帝国の成立や、ピョートル大帝から始まる近代化、ナポレオン戦争や第二次世界大戦でのナチスドイツとの闘いで、三千万人もの犠牲者を出しながら、これらの侵略者をはね返し、追いつめ勝利を収めたことなど、脈々として歴史の底流に伝統が生き続けていたこと。
 第三に、十九世紀末まで延々と続いた農奴制、遅れた資本主義国として出発し二十世紀初頭、世界初の輝かしい社会主義革命の宣言を発しながら、二十世紀末にソ連邦が崩壊するなど、その延長線上に正と負の遺産を背負いながら、混沌として生き続けている一断面を発見したことである。 であるが故に、チャイコフスキーはナポレオン戦争での民族的勝利を謳い上げ、ムソログスキーは貴族社会の腐敗堕落を「蚤の歌」に表す。
 国民的な詩人のプーキシンは「ボリス・ゴドノフ」で、シェイクスピア以上の面白さで、ロシア絶対王制の成立を描き、ゴーゴリは権力の腐敗と官僚主義を「検察官」で、これらを暴く。
 レーピンは「船曳き人」で近代ロシア美術の先駆性を果たし、エイゼンシュテイーンは、その映画「戦艦ポチョムキン」や「イワン雷帝」で、世界の映画ファンを唸らせたことなど頷けた。
 近くて遠い国と思われていたロシアを、現実に二つの目で確かめ、これらを育んだロシアを含むユーラシア諸国と、すべての分野の友好、親善を深めることの大事さを、考えさせられた旅でもあった。

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